反省の種

人と話していて、その人が自分で何か間違ったと思った際に間違いを認めて「勉強になりました」とか「反省しないといけない」と言っていると、(おっ、この人は反省の”種”があるひとなんだな)と思ってうれしくなる。

別に知識が豊富とか偉いとかはどうでもよくて、その小さな反省の種を持っている人は(あぁ、この人は少しずつでも改善していく人生を歩んでいくんだな)と思って(おぉ…)と感動する。

 

逆に知識がいくら豊富な人でも間違う事はあるわけだけど、仮にその間違いがわかった後でもそれをかたくなに認めなかったり、ムスッとしてしまう人を見ると(あぁ、この人は”種”がないんだな)と思う。

種が無いと、いくら改善するチャンスという名の雨を降らせても何もこれから先実る事は無いわけだから、ちょっともったいないなと思う(自分の事は棚に上げるけど)。

 

P.S.

この前、少し意地悪なことを思いついてしまった。

質問で「どうして日本人は、他人を気にする人が多いんでしょうか?」といった”よくあるやつ”を見たけど、これって本人も入っているのだろうか。

というのも「他人を気にする日本人」を気にしているのが質問者なわけで、もし仮に質問者がよくいる”海外かぶれ”なら、自分が一番他人を気にしている恥ずかしい奴だと自覚したほうがよい。