恵まれた環境にいても主観的に考えられない人は幸せにはなれない(かも)

一般的に考えると「人より何かしら優位に立てるものを持っている・優位に立てる状況にある」ことは人生の選択肢が広がっていい状態だと思われることが多いと思うし、また自分を客観的に見られることは優れている事だと思われがちだと思う。

ただこの二つの状況が重なると、自分で自分の首を絞めかねない状態になることがあると思う。

客観的にしか見られないと、本当に自分の好きなものに気づけなくなっって、自分と釣り合うものや、世間的に自分と認められることを選ぶようになってしまうと思う。

 

例えばお金持ちの男性。

この男性は人より多くの物を持っているわけだけど、自分の事を客観的に見て自分のアイデンティティが”お金持ちの自分”になってしまうと、今更安い食べ物が食べられなくなったり、軽自動車に乗れなくなってしまったりすることがあると思う(自分の感情より先に「お金持ちの自分にふさわしいものは~」と考えてしまう)。

そうなると、お金持ちの選択肢はお金のない人と比べて特別多いわけではなく、お金がない人が高級品を買えないように、お金がある人は”ダサい物”を買えなくなることがあると思う。

もちろんその人がお金持ちで居続けられるのであれば全く問題ないわけだけれど、幸福度は購入したものの値段で変わるわけではないことからお金持ちの人が普通の人と比べて物凄く幸福感を得られるという事もなければ、貧乏でいることよりお金持ちで居続けることの方が難しいわけだし、お金のない人と比べても相対的にリスキーな幸福の得方をする人生になると思う。

 

美人や高学歴の女性の場合でも、自分を客観的にしか見られないと「自分は美人だから貧乏人やブスと結婚するのはもったいないだろう」「自分は高学歴だから、高卒の男性とは釣り合わないだろう」と、自分が好きかどうかを差し置いて考えてしまう事があると思う(発言小町等でも「こんな男性と結婚すると後悔しますか」といった(知らんがな)という質問をよく目にする)。

ただ個人的に女性は調和を好む社会に生きていると思うので、客観的に考えてしまっても仕方がないと思う。

 

 

いずれにせよ、せっかく自分が恵まれた存在であったり、努力して何かを積み上げた状態であるのに、自分の事を客観的に見すぎると自分で自分の選択肢を狭めてしまいかねないと思う。

まず自分が0の存在だとして何を求めるのかを理解して、それから自分が持っているものは全て自分一人が価値を理解できる(つまり全て自分のもので他人には一切関係ない)と思えば、”コスパの悪いもったいない生き方”はしなくて済むと思う。

要は自分の主人公は脳だけで、それ以外の何かに”脳様”が引っ張られちゃいかんという話です('Д')