マナーを勉強したその日から、世の中で不快な事を見つけやすくなる

私は結構マナーに関する本を読むのが好きだ。

マナーの理由について読んでみると結構理にかなっていたりするし、そういった”作法”はゲームをクリアするルールみたいなもので面白いと思う。

 

ただマナーと言うのはいわば”正解”なわけだけど、今の世の中、本当に正しいマナーを知っている人は少ないと思う。

例えば冠婚葬祭のマナーくらいは調べたことが多い人が多いと思うけど、箸置きから箸を持ち上げる時の手の滑らし方とか、座布団に座るときの”にじり”とか、そういう細かなルールまで知っている人はあまりいないと思う。

 

で。

 

ルールという正解を学ぶ=それ以外は「間違い」「失敗」という事になってしまうので、他人がマナー違反をしていると、どうしても気が付いてしまうようになる。

(おっ!この人マナー違反だな)と。

 

これくらいなら全然いいんだけど、例えば箸で何かをつまんだ時に汁が垂れないように手を皿のようにして口の下に持ってくる動作があるけれど、あれは和食ではマナー違反らしい。

でもこんなことがマナーじゃないと知っていれば何も気にならないのに、いざ「マナー違反」というルールを教わると、途端に手皿をしている人を見ると”心がざわつく”ようになる。

(あれ、下品なことなのにな)(マナー違反だな)と。

 

知らなければ何とも思わないのに、いざルールという正解・不正解を植え付けられたとたん、目に入った行動が正解か不正解か自動的に仕分けられるようになる。

マナーなんて知らなければ、何とも思わない事がほとんどなのに。

昨日まで何とも思っていなかったことが、マナーと言う正解をインストールされた瞬間、全く同じ行動を不快に思ってしまうようになるわけだ。

しかも手皿をしている本人は幸せな気持ちで食事をしているのだから、勝手に目に入れて、勝手にマナー判定して、勝手に嫌な気持ちになっている自分が100%損だ。

ルールを知ることで、勝手に嫌な気持ちになるなんて本当にあほらしい。

 

 

ということで、マナーは一つのゲームのようなものとしてとらえておくのが丁度よく、そんなただの知識に感情まで左右されてしまうのはアホらしい。

そもそもマナーなんて国が違えば全く違うし、もし本当に嫌な行為であれば、マナーの正解・不正解問わず「自分が嫌いだから」という理由で辞めてくれるようお願いするのが良い。

 

「マナー違反だからやめて」という事ほど、馬鹿な考え方は無い。

それはマナーと言う常識に心まで支配されている証拠だと思う。