「偏見やめてください」と言う事で相手に何でも受け入れさせようとして、それを受け入れられない人は”多様性を受け入れられない偏見を持っている心の狭い人”というラベルを貼り付けようとする人がいる。
まさに無敵の主張だ。
例えば「タトゥーに偏見ある人は嫌いです」という言葉。
これは要するに「タトゥーしている人って、ちょっと怖いよね」「変な人が多いんじゃないかな」という意見が偏見だと言いたいわけだと思うけど、これって言うほど”偏った意見”だろうか?
例えば海外では以下のようなデータがある。
また、タトゥーを入れている人の中で、何らかの理由で警察の厄介になったことがあると答えた人をさらに調査したところによると、「刑務所に収監されたことがある人」は58%にも上る。また、「アルコール中毒者」は37%、「ドラッグを常習者」は38%、という結果が明らかになった。
要は「警察のお世話になったことがある人の方が多い」わけだ。
こういった統計データがある以上、タトゥーを入れている人=「○○の可能性が高い」と思われても仕方がない。
そこから個人個人は別だけど、少なくとも母集団では偏りが出るわけだから、タトゥーを入れていると聞いた時点では(この人もあっち側の人かな)と予想をたてられても仕方がない。
例えば目の前に人を死なせたことがある人がいたとして、私たちが(あ~絶対ヤバイ人だ)と思ったとする。
すると相手から「いえ、自分は追突事故で車が吹っ飛ばされ、その先に人がいたんです。確かに私は人を死なせてしまいましたが、人を死なせてしまった人=ヤバイは偏見ですよ」と言われて、素直に(あぁ~人を死なせた=ヤバイ人ってのは偏見なんだ。今後からは人を死なせたと聞いても気にしないようにしよう)と思えるだろうか。
おそらく(あぁ、この人はたまたま不運だったんだな)と思うだけで、次回からも人を死なせたと聞くと(えっ、この人もしかしてヤバイ?)と思うんじゃないか。
これが例えば「イスラム教はテロリスト」「短髪ヒゲマッチョは全員ゲイ」みたいな意見だと、全体で見ればかなり少数なので”明らかに偏っている意見”だとは思う。
ただし、明らかに全体的に見て”そういう人が多い”のに、それを偏った意見だというのはおかしいと思う。
素直に「○○が嫌いな人は私とは合わないと思います」と言えば良いのに、これが「偏見が~」となると、自分は何が何でも絶対に正しくて、それを受け入れられない人は”世間知らずで経験値の低い人間だ”と言っているように感じる。
また、そうやって「偏見やめてください」と自分を守ろうとすることで、ますます世間からは(あぁ、やっぱりこういう人って○○なんだね…)と偏見を持たれる羽目になると思う。
そもそも「偏見やめてください」といったところで偏見がやめられるわけがない。
どうしても母集団のイメージから出発してしまうのは仕方がない事だと受け入れるしかないと思う。
(ちなみに私はエルフェンリートのタトゥー入れてみたいと思ったことがあります)