「普通は」「人として」という感情的な意見

相手に変わってほしい人で、よく

・「普通は○○だから」

・「一般的には△△だから」

・「人としてXXじゃないの?」

といった言い方をしてくる人がいる。

 

でも、これはよく考えると非常に奇妙だ。

そもそも普通というのは”人が自然に生きて、その結果たまたま多くの人が当てはまったもの”であり、別に普通がもとから存在するわけではない。

私たちは普通をもとに生活しているわけではないので、別に普通が○○だからといって普通に合わせる必要はない。

もちろん「普通」といった大勢を味方につけて話すときは、さぞかし心強くて、自分が正しい気がして、気持ちがいいんだろうけれど。

 

だから「普通は○○なんだから、こうしてよ!」と言われても「はぁ、そうですか(まぁ関係ないし)」と思ってしまう。

ただ相手に「”私は”○○が嫌だから、今のあなたと私では仲良くなれない」と言われれば、これはお互いを尊重した会話になるわけだから、(なるほど、相手が嫌な思いをしているなら少し変わろうか)と思えたり、「残念ながら自分は変えたくないから、あなたとは仲良くできない(ただしあなたの考え方も尊重する)」といった気持になる。

 

どれだけ自分と相容れない意見であったとしても、相手が「(他の人の考えと関係なく、たまたま一人の人間として自然と持っている価値観として)”私は”○○だと思う」と言われれば、自分が変わるかどうかは別にして理解できるし納得できる。

まぁ、こんな面倒な話をしてもまったく意味はない。